知りたがりな一般人
そいえばこないだ舞台「もうひとつの時代」を友達に誘われて鑑賞に。
オーデンというイギリスの詩人の言葉と世界に沿って舞台は繰り広げられててて、
音楽はのオーケストラっていうのか、そういうような楽隊の生演奏。
オーデンの詩はテキストとして印刷されて観客に前もって配れた。たぶん「これ読んで予習しときなさい。」みたいなことだったんだろうけど、遅刻して行ったのでそんなテキストが配られているのは終わってから気付いた。
たぶん、これ予習してたら「はー、そういうことか。」って、なったんでしょう。
巨大な砂時計が舞台右に、ドカーンッ!と置いてあって、思うに、時間の確かさ・不確かさ、価値・不価値、操ってるようで操られてる、みたいなことを表してるんだろうなー、と。
「金と時間になんの意味があるか。」という台詞(オーデンの詩)が出てきて、「いや、あるだろ。十分。」と思ってしまった私はダメな人だと思った。嫌だ。汚れてきてる。
「僕らは音の感じで言葉を選び 問題をその扱いにくさで判断する。」って台詞はすごくよくわかった。普段自分の使っている言葉について省みた。ほんとそうだ。
で、結局、途中で寝てしまいました。
私こういうのはまだわからない。わかる日が来るのかもわからない。
なんか難しすぎる。
感じるのにワンテンポ必要なのって大変だ。
ちょっと回り道してるような気がした。
ただ、楽隊の生演奏がよかって、上手いかどうかはわからないけど、ちゃんとしたホールで舞台音楽を聴くのは少し感動する。
クラシックのコンサートとか行ってみたくなった。
自分がまだ大学生だったら、すごく感銘していたかもしれない。
感じる力が少なくなってきてるのか、選ぶことができるようになったのか。
せっせと働いたお金を払って何かを見る、聴くということは何なんだろう。
この不確かさは、時に不安や猜疑心につながる。
でも、考えられない思いもつかない感動があったりする。
何かを見て、聴いて共感して、わああぁぁー!ってなるのは所詮、自分の経験値内なのだろうか。そうだとしたらすごいグルグルスパイラル。
見たことないものを聴いたことないものに出くわすと、「何?これ。」で終わってしまうのか。
あー、なんかこれすごい自慰行為なこと言ってるな。まっ、いいか。
いつものこと。
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